14 海からの襲来から福岡を守った元寇防塁 – 福岡市西区市民センター

14 海からの襲来から福岡を守った元寇防塁

2024年3月26日

福岡市の海岸線には、「元寇防塁」と呼ばれる石垣を見ることができます。これは、1274年に蒙古からの襲来を受けた鎌倉幕府が再度の来襲に備えて、1276年に博多湾の海岸線に石築地(いしついじ)を築いたものです。

西区には、この元寇防塁が「生の松原地区」「今津地区」の2箇所あります。

長垂海岸から小戸海岸にかけての約2.5kmの間に並ぶ石垣が、生の松原地区元寇防塁です。ここに積み上げられている石の種類は、西側と東側で綺麗に分かれています。西側はペグマタイト(花崗岩)、東側は砂岩となっており、築造当時、姪浜が肥前国、生の松原が肥後国であり、この石材の違いは両国の分担地区を示す可能性があるものと考えられています。

現在は、防塁の一部は築造時の高さに復元されて見学できるようになっています。

今津地区元寇防塁は、柑子岳山麓から毘沙門山山麓にかけて、約3kmに渡っています。ここで使われている石材は、それぞれの山から採ったものを多く使っており、西側は花崗岩、東側は玄武岩、中央部は花崗岩と玄武岩が交互に連続して使われています。

現在は、松原の中に約200mが復元整備されて見学することができます。

 

写真提供:福岡市